心を整える

神戸出張

今日、神戸出張の際

神戸の「湊川神社」に寄って手を合わせました。

以前のメルマガの記事

お参りをした後、以前メルマガに書いた記事のことを思い出しました。

こちらにも共有しようと思います。

いつから

「いつから神社に行って手を合わせるようになったのか?」

教わった

小学校の頃「カブスカウト」に所属して活動をしていたが、

毎週日曜日、近所にある神明神社に集合していろいろな事を教わっていた。

教わるといっても、木々の幹の根元を掘りおこし、

カブトムシやクワガタの幼虫を捕まえたり、

木の下から1メートルぐらい上の所に「ドロップキック」をして

枝にいるカナブンを落とすなど、

夢中で虫を捕まえていた記憶がある。

身近な場所

なので、神社はとても身近な場所だった。

そしていつからか、特別な宗教心などは無く、

ただなんとなく、自然に…

神殿に手をあわせるようになった。

そう思える。

願い事

大人になってからは、

手をあわせながら願い事をするようになった。

しかもたくさんのお願いをする。

この「願い事」叶うか?

叶うとしたら何の要素が大事なのか?

「お賽銭の額?」

「手のあわせ方?」

「お願いの唱え方?」

そんな事を考えながら「願い事」をするのである。

シンプルに考える事

子どもの頃、見るもの、聞くもの、

全てがとても新鮮だった。

やること、したいことがとてもシンプルであった。

大人になると「このシンプルに考える事」が

しづらくなってくるのである。

気持ちがリセット

普段仕事にしている事の他に好きな事がある。

概ね身体を動かす事なのだが、

最近では「ランニング」が習慣になりつつある。

もちろん健康にも良いのだが、

自分に一番良いのは「気持ちがリセット」出来ること。

こころをととのえる

そう!

「こころをととのえる」ことなっている事に気がついた。

シンプルにものごとを捉えられるようになる。

この感覚は小学校の頃の感覚に近いのだと思う。

合点がいった

そんな事を思っていたら

脳科学者の茂木 健一郎さんが

「神社にいって手をあわせる事」は究極の

「こころをととのえる事」だと言っていた。

なるほど!

合点いった。

意識のながれ

こうも言っていた。

「事をなすのは結局は自分自身である。」

だから、手をあわせる時は

「命の真をみつめ、ゆったりやわらかに自分の命を包んで愛しんでみる。

意識のながれがしっとりとするのを感じ、

その一粒ごとが充実していくのを感じる。

そしてこの世に生まれた事を感謝する。」

そうすれば良いと。

手を合わせた

僕はその言葉を思い出しながら

先日、神田明神の神殿の前で手をあわせた。

「願い事」をしていないのに

いつもより長く時間がかかった。

さて

さて

「僕のこころはととのった」だろうか…?

今日のきづき

神戸の新開地は面白い

↓今日のランニング記録-2018.9.24(月) 曇り 神戸にて

 

投稿者プロフィール

アッキー
アッキー
さいたま市出身で小平市在住

一級建築士

建築・商環境デザイナー

新しい価値観に出会える場所に
行くのが好き

サッカープレー品質向上の為に
ランニングを習慣化

フルマラソン自己ベストタイム
3時間8分

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